■アルツハイマー

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17年1月15日の出来事



■ アルツハイマーの父 + 家族4人


(私の家の介護生活)







私の家族は、アルツハイマーの父親・私の妻と娘2人、そして私の5人です。

「父親がアルツハイマーです」と医師に宣告されてからもう4年目になろうとしています。

その間、色々な事がありました。

笑ったり、泣いたり、怒ったり、私自身は結構楽しく過ごしてきましたが、

妻や娘たちはどの様に感じていたのでしょうか?

ただ言えることは、皆がおじいちゃんを好きになってくれたと言うことです。

このことは、皆にとても感謝しています。

しかしその反面、なぜもう少し早く、父親の病状をみつけてあげられなかったのかと、

大変父親に申し訳ないことをしてしまったと思っています。

なぜ病状を早くみつけることが出来なかったのか、

それは私が痴呆に関する知識を持っていなかったということです。

私の周りに知り得る情報や機会がなかったということです。

皆さんに私のように失敗してもらいたくない。

痴呆が少しでも早く分かればご家族の取り組み方やライフスタイルが違ってきます。

ここで少しでも知識を持ってもらいたいのです。

そこで私と私の家族がアルツハイマーの父親にどの様に毎日接しているのかをお話していきたいと思います。

父親が「ちょっとおかしい」と思い、病院に連れて行ったのが平成13年3月19日、

病院に連れて行くのに歩いていくより自転車の後ろに座らせて連れて行くほうが早いので、





お父さん、後ろに座って、病院にいくから。

怖くて座れないよ、

大丈夫だよ、自転車押さえているから。

怖い、怖くて座れない。

仕方ないな、体抱えて乗せるから、





「抱えて後部座席に座らせようとするのですが、足が開かないのです」

あれ!! ちょっと変だなとここで初めて私は父親の体の変化に気が

ついたのです。

私も慌てました!!

父親がこんなことになっているとは思いもよらなかったのです。



それで2人で歩いて病院に出掛けました。

私の足で5.6分のところに有る病院に20分掛かってやっとの思いで着いたのです。

待合室の椅子に腰掛けて。





親父さん疲れた、

とても疲れたよ、

ちょっと前はひとりでこのくらいの距離は歩けたのにね、どうしたんだろう!

一人で歩くと怖いので今はそお遠くまでは歩かないよ、

今から先生に診てもらおうね、

何ともないよ、





先生が父親に簡単な「長谷川式テスト」をしたのです。

父親の前に、腕時計、めがね、など5品を並べ、ここにある物を覚えてください。

何があったか聞きますからとその5品をしまったのです。

父親は全く今見たものが言えないのです。



このテストの結果は30点満点中2点ということなのです。

かなり痴呆が進んでいますとの話でした。

体も硬く、アルツハイマーとの診断結果が出ました。

これから今以上に硬直して歩けなくなり寝たきりになりますと、医師から言われたのです。

ショックでした。

これからどの様に対処していいものか?

兎に角、おじいちゃんの体を動かしなさいとのことでした。

薬もなし、症状が軽ければ薬はあるのだそうですが。

父親の状態では飲んでも仕方ないということなのでしょう。

いま、考えるともっと以前から症状は出ていたのです。

それは年寄りの単なるボケとして受け止めていたのです。

これが失敗でした。

この続きはまた書きますね。







平成17年1月23日



家族4人は大慌て!!
親父さんが救急車で運ばれました。



15日の朝、8時に私の父親がご飯をつまらせてしまい救急車を呼びました。

最近は体調も良くて家族皆が油断をしていました。

そのときもちょっとムセッタだけだと思い、背中を叩いただけで、もう大丈夫だと勝手に思い込んでお茶を飲ませたのです。

口に含んでから4〜5秒してから、口からお茶をダラダラと流したので直ぐに私は異変を感じました。

顔色は青白く、唇は真っ青、直ぐに背中を思いっきり何回も叩きました。

なかなか呼吸をしません。

再度、叩き、やっと息を吹き返しました。

父親の顔、胸はアセでびっしょりです。

直ぐに、救急車を呼びました。

もうその時は、顔色は悪いのですが、「ワウ、ワウ」と声を出していました。

一安心しました。

しかし、器官に食べ物を入っているかもしれないので、肺炎が心配なので救急車で病院に行き、入院させました。

CTの検査で肺に白く影があるので肺炎になったのでしょう。

寝たきりにし点滴だけうっていると食べなくなるし、動けなくなるので、次の日から口から食べ物を入れてもらうように病院に頼んだのですが、

了解を得られませんでした。

それでは早く退院させてもらうように何回も頼みました。



次の日の朝は、もう死んだようにぐったりしていましたので、声かけて意識をハッキリさせそして手足をさすりました。

昼頃ようやく元気になって来ました。

担当医に18日に退院出来るように頼みました。

17日の夕飯を食べればOKということになりました。

よく食べました。

それもあっという間にお粥でしたが、完食でした。

それで18日の朝退院してきました。



今私の横で椅子に座ってテレビを見ています。




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