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松竹の歴史
1895年(明治28年)松竹創業の年
大谷竹次郎と白井松次郎が京都新京極の阪井座の経営に参加する。
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(二人はまだ弱冠19歳です)
1902年(明治35年)松竹合名会社を設立。
(大阪朝日新聞に二人の名前をもじり「松竹の新年」として掲載され、世間に松竹の名前が知られるようになった。)
1914年(大正3年)歌舞伎座を手に入れる。
(2年前に歌舞伎座の株の買占めを計ったが反対運動が起こり失敗、一度は手を引いた)
1920年 松竹設立の年「松竹キネマ合名会社設立」
蒲田撮影所開設。
1923年(大正12年)京都太秦に松竹京都撮影所ができる。
1929年(昭和4年)歌舞伎俳優の全員が松竹の傘下に入る。
1931年((昭和6年)日本最初のトーキー映画「マダムと女房」上映される。
1932年(昭和7年)『生まれてはみたけれど」公開。
1937年松竹キネマと松竹興行を統合して、松竹株式会社を設立。
(浅草国際劇場開演、松竹少女歌劇団公演)
1938年「愛染かつら」公開される。
1951年(昭和26年)日本最初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」公開される。
1951年(昭和26年)松竹キネマ30周年記念映画「大江戸五人男」監督:伊藤大輔 大ヒットになる。
1965年(昭和40年)「男はつらいよ」第一作目公開
1972年(昭和47年)テレビ映画「必殺シリーズ」が始まる。
『木枯らし紋次郎」に対抗して作られた、時代劇の一時代を築いた作品である。
池波正太郎「仕掛人・藤枝梅安」原作を元に作られた。
第一弾「必殺仕掛人」 1972年9月2日〜1973年4月14日
梅安に緒方拳、西村左内に林与一、津坂匡章、太田博之、松本留美、野川由美子、中村玉緒などが出演していました。
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★創業者
白井松次郎、大谷竹次郎
1877年(明治10年)12月13日〜1951年(昭和44年)1月23日
75歳で永眠。
京都三条柳の馬場に生まれる。
弟大谷竹次郎とは双子の兄弟。
1877年(明治10年)12月13日〜1969年(昭和44年)
92歳で永眠。
白井松次郎は双子の兄。
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