コカ・コーラの誕生


清涼飲料メーカー

自動販売機は戦後日本の景気と共に台数を伸ばしてきたのです。
自動販売機


日本の自動販売機はコカ・コーラの成長なくしてはこれほどまでに台数を伸ばしていなかったでしょう。
コカ・コーラの誕生


高梨仁三朗氏「日本におけるコカ・コーラビジネスの父」である。
コカ・コーラ「日本の歴史」


高度成長に合わせて団塊の世代が育ち、自動販売機もまた台数を伸ばしていったのです
世界一の自販機大国

飲料水各社

日本コカ・コーラ株式会社

サントリー株式会社

キリンビバレッジ株式会社

アサヒ飲料株式会社

大塚製薬

伊藤園

ダイドー・ドリンコ

株式会社ポッカ・コーポレーシャン

カルピス株式会社




コカ・コーラの展開


1885年にジョージア州アトランタ市に住む薬剤師ジョン・S・ペンパートン氏が鎮静強壮効果のある

「フレンチ・ワイン・コカ」を開発したのです。

1886年にそれを改良したシロップを完成。

そのシロップを共同経営者であるフランク・M・ロビンソンがコカコーラと名付けました。



当初は「頭痛薬」のように宣伝もされていましたが、

そのうわさを聞いて1899年二人の弁護士がコカコーラのビン詰めやコカコーラの販売をしたいとして契約を結んだのです。

これにより「ボトラーシステム」がはじまったのです。





一方、広告宣伝は1907年にプロ野球と結び「アメリカの野球を見るにはアメリカのドリンクを」というキャッチフレーズで広まっていったのです。

またこの頃になるとコカコーラの模造品が数多く出回ったために、

「どこでさわっても分かる」独特の形をしたビンが考案されたのです。



1923年に入り社長がロバート・ウッドラフに代わってから世界進出が本格的に始まり、世界中のスポーツイベントを応援する戦略を展開します。

1928年のアムステルダム大会からオリンピック支援をはじめたのです。



アメリカ国内での戦略はハリウットスターの登用です。

「ターザン」スターのジョニー・ワイズミラーやジィーン・ハローを起用しました。



またサンタクロースの白いひげで赤いコートのスタイルもこの頃の広告で作られた物なのです。

1935年に入り採用した硬貨式の自動販売機も売上向上に貢献しました。



1941年12月7日のパールハーバーより『太平洋戦争」が始まと、

ロバート・ウッドラフは「全ての兵隊にビン入りコーラを5セントで飲んでもらえるようにする」と指示を出したのです。

これにはウットラフの計算があったようです。

戦時中に砂糖が政府により規制されることから、これまで通りコカ・コーラを生産できなくなるので、政府にコカ・コーラが戦時中でも必要であることを認めさせようと考えたのです。



その結果、軍に納品するコカ・コーラに限り認められたのです。

戦後繰り返し使われた「いつでも、どこでも、だれにでも」がコカ・コーラの真髄であったのです。





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2006  自動販売機