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コカ・コーラは大正時代にはすでに販売されていました。
それは芥川龍之介が友人に宛てた手紙の中、
「コカコラ」と書かれています。
また、1914年(大正3年)高村光太郎の「道程」に収録された「狂者の詩」の中に出てきます。
「吹いてこい、吹いてこい秩父おろしの寒い風・・・・・・
コカコオラ、Thank you very much 銀座の二丁目三丁目それから尾張町・・・・・・・・・・・・・
しんみに己に意見する気だ コカコオラもう一杯・・・・」と書かれていました。
1916年(大正5年)明治屋からはじめてコカ・コーラが発売されました。
そして戦後、進駐軍と共に日本に入りそこで軍関係者用の工場ができたのです。
それに目をつけたのが(キッコーマン醤油の創始者である高梨家の出)高梨仁三朗氏「日本におけるコカ・コーラビジネスの父」である。
しかしコーラの原液を輸入するための外貨割当がもらえず、
更に飲料メーカーからの反対があり輸入が許可されたのが1956年(昭和31年)でした。
その年の11月に東京飲料株式会社を設立します。
1957年(昭和32年)から販売は外国人向けで1本の価格が35円以上という条件がついたのです。
1958年(昭和33年)ファンタの製造が始まる。
それからは東京オリンピックや大阪万博の追い風に乗り事業は発展していきます。
1965年(昭和40年)缶入りコカ・コーラを販売。
1975年(昭和50年)ジョージアコーヒー発売
1983年(昭和58年)アクエリアス発売
昭和50年前後よりはじめた「ルート販売」で全国隅々まで販路を広げました。
現在の自販機台数は全国で100万台、販売先は約100万件にも及びます。
なぜコカ・コーラがここまで大きく業績を伸ばし、高利益を生んでいるのか?
マーケティングとコーラの素を提供する会社ということでしょうか。
製造と流通は下請けのボトラーが担当しているのです。
この体制を維持することが儲けの基盤になっているのです。
これからも益々業績を伸ばしていくことでしょう。
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