坂本 九さん 「上を向いて歩こう」
「上を向いて歩こう」は 作曲:中村八大・作詞:永 六輔・歌 :坂本 九 によって
1961年(昭和36年)9月の「夢で逢いましょう」の中の今月の歌でうたわれました。
中村八大と永 六輔のコンビは1959年(昭和34年)の「黒い花びら」(歌:水原弘)で第1回レコード大賞を受賞し注目を
集めていた時で。
一方、坂本 九はダニー飯田とパラダイスキングに参加して、ヒットを出し人気が出始めていた時でした。
なぜこの歌が生まれたのか?
それは、永六輔氏が落ち込んでいた時に、中村メイコ氏が「泣きたいときは、上を向いて歩きなさい」という言葉を言ってな
ぐさめたのがきっかけとなり「上を向いて歩こう」が生まれたのです。
その後、3人は「六・八・九」トリオと呼ばれるようになったのです。
またその頃の、時代背景が高度経済成長の時であり、国民の生活は必ずしも裕福ではなかったが。
しかし将来を期待できる時期であり、
坂本九のニキビ顔からの笑顔が庶民的で好感を持たれその時代にフィットし「上を向いて歩こう」が大ヒットしたのかも知れません。
また、1962年(昭和37年)に英国のバイ・レコード会社のルイス・ベンジャミンが「上を向いて歩こう」を聞いて、
ケニー・ポール楽団にレコーデングさせる事を思いつき、
タイトルを日本で食べた「スキヤキ」にして、ジャズ風のアレンジでインストルメンタル曲として発売したのです。
それが全英のトップテンに入る大ヒットになったのです。
それから、米国のワシントン州のKORD局のDJリッチ・オズボーンは「スキヤキ」のオリジナル盤を手に入れて、
1963年4月に彼の番組で流すとたちまちリクエストが殺到して大きな反響があったのです。
この反響を耳にした、キャピトル・レコードが1963年(昭和38年)5月にレコードを発売すると、6月には日本人としては
初めての全米ナンバーワンになりました。
(キャッシュボックス誌で6月15日から4週間、第1位に、ビルボード誌では3週間第1位を記録した)
※ 全米ヒットチャートでは英語以外の曲が1位になったのは、
※ 1958年イタリアのドメニコ・モデューノがうたった『ボラ−レ』
※ 1964年にベルギーのスール・スーリールが歌った『ドミニク』
※ そして『スキヤキ』です。
その後、ビリヴォーン楽団、フランク・ブゥルセル楽団など世界13ヶ国で23のタイトルで発売されました。
1981年にティスト・オブ・ハニーが英語で歌い全米で3位を記録。
1995年に4PMが全米の8位のヒットを記録したのです。
『スキヤキ』の発売の翌年に坂本九は全米レコード協会よりゴールデンデスクを贈られる。
(全米で売上枚数100万枚以上を記録)
坂本九はキャピタルレコードの招きで渡米し、「ステーブ・アレンショウー」に出演。
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